Hokkaido Centennial Memorial Tower Fun

設計者・井口健 北海道百年記念塔を語る ①

設計競技への応募

 

■北海道百年記念塔のコンペ(設計競技)に応募した動機を教えてください?

当時、私の務めていた久米建築事務所が今の道庁本庁舎の設計を担当していたんです。私も現場に携わっていました。そうしたときに現場事務所に北海道百年記念塔コンペのポスターが掲示されたんですね。
 
コンペの応募は単純に自分の力試しという感じです。この前の年(1966年)の年末に1級建築士の免許を取ったばかりだったんですよ。
 
昭和42(1967)年9月に入ってすぐ、現場も峠を過ぎて気分的に余裕ができたとき、ふと、記念塔の設計競技に応募してみようと思いました。

 

 

久米設計事務所時代の井口先生(昭和33〜34年頃、下写真も同)

 

設計業務に勤しむ

 

■先生にとってモニュメントの設計はどのようなものでしたか?

モニュメントはというのは一つの歴史ですよね。歴史に対する実証、何らかの歴史を原点にして求められるテーマとその課題の精神をいかに追求するか──ということにおいてはとても魅力がある。建築家としてとても惹かれるものです。
 
モニュメントですから意図的に壊されることはないだろう。まして、北海道百年記念塔の場合は「風雪百年・輝く未来」ですから。まさかこういうトラブルが起こるとは思ってもいません。道庁が種を撒いて騒動を起こしたのが原点ですが……。
 

井口先生が設計に関わった道庁新庁舎新築模型

 

■その時、先生はまだ29歳の若手です

コンペの受付開始は6月からで〆切は10月末ということだったんですが、コンペを知った当時は現場が忙しく、コンペどころではなかったんです。道庁の他に江別市役所新庁舎の工事監理までやっていたのです。江別の方の仕事は辞めるよう、道庁側から注意されました。それで少し時間が取れそうになったものだから、挑戦してみようかなと思ったんですね。
 
まず計画書をつくって「(久米建築)事務所でやりませんか」と申し込んだんです。だけど事務所は
 
「忙しく手が回らない。どうしてもやりたいなら君が個人でやりなさい。君ならまとめられるだろう」
 
という返答でした。それなら
 
「あーそうですか。わかりました」
 

北海道百年記念塔設計競技応募要項

 
 

■久米建築としてではなく、先生お一人で臨まれたんですね?

札幌の事務所は係わらない──それは徹底していました。当選して建築が始まっても現場に札幌事務所から誰も姿を見せない。それぐらい一貫していました。札幌事務所としては責任を持てない……ということでした。
 
私が登録した時点で〆切まで残り1カ月半でした。事務所は手伝えないということだから、時間外に所員の仲間に協力してもらい、すすめていったんです。
 

設計競技チーム


 
そうしたところ、本社の重役が誰かから聞いたんでしょう。久米建築事務所は東京が本社で、北海道事務所担当の重役がいるわけです。本橋さんという方で、東京と札幌を行ったり来たりしている。その本橋さんに呼び出され
 
「君は百年記念塔のコンペをやっているそうじゃないか。道庁の現場は関島君(久米建築事務所の現場監理の所長)にまかせて、コンペを命懸けでやれ」
 
と命じれました。応募期限の10日くらい前です。久米本社は本社で総掛かりで記念塔のコンペに対処していたのです。
 
これで事務所の時間、事務所の職員を使ってやれるようになりました。助けられました。感謝です。なんとか間に合い、深夜に郵便局本局で郵送手続きを終えました。

 

設計でコンペと実施設計に協力した久米建築事務所札幌支社の桑原義彦氏

 

 
 

 

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